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カスタマーレビュー数:248
読んだ年齢で
2010-02-08
14人中 14 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
十代から五十代の現在まで、10年に一度くらい読み返してます。 <br />読む年齢によって、読後感がすごく変わります。 <br />昔は、ホールデンに全面的に共感したりもしたけど、今の年齢で読むと、これだけ感受性のかたまりのようだと生きるのはつらかろうなあ・・・と、ホールデンに対してなんだかせつない気持ちを覚える。そりゃ世の中イヤな奴と頭の悪いボンクラばっかだけど、でも人間ってさ、みんなが君みたいに優秀なわけじゃないんだよホールデン君。そういう感想になっちゃう。 <br />僕もオヤジになったってことか。 <br />作者サリンジャーが、これを書いたあと60年も生きたっていうのがなんだかすごい。
16歳の少年が、大人世界の偽善を直感で見抜く
2010-03-05
33人中 29 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
レビューを書こうと思ったら、すでに235ものレビューがあって、一瞬ひるんだ。 <br />しかし、俺には俺の見方がある。 <br />著者のJ.D.サリンジャーは今年、2010.1.27に亡くなった。これを機会に新聞のコラムやエッセー欄にサリンジャー賛辞の記事が沢山出た。青春小説の傑作だそうで、落合恵子とか、若者に説教したがり屋が特に褒めちぎっていた。そこで俺も読んでみようと思った。断っておくが、俺は75歳のじじいだ。翻訳は野崎孝のものが名訳ということになってるらしい。 <br />読み始めて、まず感じたのは外国映画の日本語吹き替えのあの妙なイントネーションだ。この妙なイントネーションは芸人の友近が「ディラン&キャサリン」というペアで売り出していて、俺は感心していた。この二人はまさに日本語吹き替え映画のせりふのいやらしさを見事にあらわしている。この日本語吹き替え洋画的文章もしばらく読んでいくうちに気にならなくなってきた。彼のいんちきを見抜く直観力とその表現に思わずなんども噴出した。こんなことは俺には滅多にないことだよ。 <br />さて、本題だが16歳の少年が、余りのはみ出しぶりに名門高校を退学になり、家に帰るまでの数日間、大人の真似をして、酒を飲んだり、娼婦を買おうとしたり、先生の家に遊びにいったりしながら、ぼろぼろになって、家にたどり着くまでの間に、色々考えたり、人物についてこき下ろしたりしながら、彼の考えを述べる。これがまさに的を射ているんだな。彼は、別に論理的とか倫理的とかに考えて、人物に対する判断をおろしているわけではないが、まさに直感的に、こいつは胡散臭い奴だとか、偽善者だとかわかるんだ。でも、自分の亡くなった弟や,幼い妹は深く愛していて、心を打たれる。おれ自身も青春時代とはいわず、40・50・60になっても(俺は会社員だった)上役・同役・下役のインチキ性を身をもって感じていたから、主人公の直感がよくわかるんだ。 <br />柄にもなく、野崎さんの翻訳口調をちょいと真似したが、彼の翻訳の足元にも及ばないことはよく承知している。
村上訳だからといっていいわけではないのだよ。
2004-02-26
169人中 136 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
私は原書の翻訳の野崎訳を推薦します。この本は世界的に有名で<br>各国で翻訳がされており、一度は読んでおくべき本でしょう。<br>従って、私はこの本をあなたが手に取るものだとして、レビュー<br>を書きます。断然野崎訳です。当時の原書はその時代の反抗的若者<br>の言葉遣いを知る上で、文学的に、そして文化的にも貴重なものと<p>認識されています。野崎氏はその点に留意し、ホールデン(主人公)<br>の言葉遣いを難解な作業でありながら、日本語でその気品に満ちた<br>反抗性を表現しています。一方、村上氏はその気品を重んじるあまり、<br>反抗性への留意が欠如しており、現代の小説を読んでるイメージを<br>受けるとともに、この小説がなぜ、ホールデンが一人称として物語<p>が展開していっているのか、を考えさせることができていない。と<br>思います。そして、言うまでもなく、村上訳が野崎訳をベースに編<br>成されていることを留意すれば、断然....でしょう。
読者によって様々な感動を与えられる名作
2009-07-11
4人中 4 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
本書には訳者の解説が加えられる予定であったのが、 <br />原著者の要請によりそれが出来なくなったとある。 <br />そのかわりに「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を語ると題した、 <br />村上春樹・柴田元幸両氏による対談を白水社のホームページで読む事ができる。 <br />その中で、村上氏は主人公ホールデンの社会に対する反抗よりも、 <br />ホールデン自身の内面の葛藤の方に主眼を置いて翻訳したという様な事が述べられている。 <br />そのせいか、学校を放校になったホールデンがニューヨークの街で色々散々な目にあって <br />心がどうしようもなくボロボロになっていく心理状態がとても切実に伝わってくる。 <br />そして最後の場面で妹フィービーの無垢な愛情に触れてホールデンは救われる。 <br />それはただ単にフィービーが回転木馬に乗るのをホールデンが眺めているだけのシーンなのだが、 <br />何故か私は泣けて泣けてどうしようもなかった。 <br />おそらく本書は読者によって様々な感動を与えられる名作だと思う。
野崎訳に軍配
2007-02-10
4人中 4 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
読む人の年齢によっては、小説の筋を追うのではなく野崎孝氏の翻訳と比較するという理由でこの本を手にした人もいるのではないだろうか。私もその一人であるが。 <br />読み比べてみると、村上氏の訳はちょっと上品すぎる感じがして、何よりも名訳と言われた野崎氏の訳がもうすでに私の頭に浸み込んでしまっていて、私にはどうもしっくりしなかった。しかし村上氏の訳が下手だという気は毛頭ない。有名すぎる訳本がある小説をもう一度訳すというのは、たいへん気苦労の多い作業であっただろうから。 <br />ただ、題名は「ライ麦畑でつかまえて」を踏襲してもよかったと思う。「Wuthering Heights」が「ワザリング・ハイツ」ではなく「嵐が丘」で定着しているように。それにキャッチャーといわれると日本人はまず野球の捕手を思い浮かべてしまうだろう。今に始まったことではないが、映画の題名でも何でも、英語の読み方をそのままカタカナにしてあるものが多すぎる。