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モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)詳細情報とランキング

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モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

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モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

Sigmund Freud渡辺 哲夫
お勧め度:ユーザ評価は4.5点です カスタマーレビュー数:10

販売価格:1260円
中古価格:1600円
定価:1260円
発売:筑摩書房
発売日:
出版日:2003-09
種別:# アマゾンの詳細ページを開きます

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モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)のユーザレビュー

評価:ユーザ評価は5.0点です 歴史書ではなく臨床の本として 2007-06-19

44人中 41 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

 1939年に発表されたフロイトの宗教論・文化論についての論文である。精 <br />神分析は神経症の治療技法として創出されたが、人間理解の方法として宗教 <br />や文化の解釈と再構成にも利用されることがある。本論文はその一つである。 <br /> <br /> 本書は精神分析的な視点からユダヤ教の成立史やモーセの出エジプトにつ <br />いて論じている。着想は独特であるが、現代的な歴史学や宗教学からは「事 <br />実に即していない」ということであまり取り上げられることは少ないようで <br />ある。僕も詳しくないが、多分フロイトの言っていることは「歴史的事実」 <br />としては間違っているのだろうとは思う。 <br /> <br /> しかし、本書を単なる歴史書や宗教書として見ると、その価値はあまりな <br />いように思うが、視点を変えて臨床のモチーフやメタファーとしてみるとま <br />た違った色合いが見えてくるように思う。 <br /> <br /> 例えば、「モーセ、ひとりのエジプト人」や「もしもモーセがひとりのエ <br />ジプト人であったとするならば・・・」などの章では、モーセの名の由来や <br />出生についての探索が行われている。これは臨床の中で言えば、治療者が患 <br />者の生育歴や早期外傷体験の探索・想起などを行っているところが目に浮か <br />んでくる。患者の語られる材料をもとに、自由連想を駆使し、一つ一つ確か <br />めていく。これはきわめて臨床的なことである。 <br /> <br /> また、モーセという人物を実在のものとせず、心的内容物のある象徴とし <br />て見て、ユダヤ教をスクリーンとして、そこに一人の人間の無意識や乳幼児 <br />体験を写しだすことができているように思える。宗教における戒律や取り決 <br />めは個人の超自我に当たるだろ。 <br /> <br /> すなわち、フロイトはモーセやユダヤ教の分析を行っているように見えて <br />、それはメタファーとしてフロイトの臨床や分析技法を書き記していると理 <br />解することができる。本書を歴史書として見るか、臨床を記述している書と <br />して見るかで、かなり大きく異なってくるだろうと思われる。

評価:ユーザ評価は4.0点です 心的外傷モデルによる「抑圧されたものの回帰」 2008-03-22

6人中 5 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

この書における最晩年のフロイトはモーセに自己を重ねており、唯一神がユダヤ民族にとっての超自我として制作(自然発生説ではない)されるプロセスを丹念に措定している。 <br />重要なのは、フロイトの「抑圧されたものの回帰」が心的外傷及びその遅延した露呈としての神経症をモデルとしていることだ。 <br />汎性欲説(幼児研究においては有効だったが)ではなく、それまで否定してきたピエール・ジャネの理論を採用しているのだ。追憶と忘却のなかで隠蔽されているのはフロイト自身の変節である。 <br />なお、解説はフロイト自身によるエスに関する1923年と1933年の図を両方収めていて参考になる。

評価:ユーザ評価は5.0点です フロイトの本の中ではかなり面白い本 2009-05-11

1人中 1 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

フロイトの精神分析の本の中ではかなり面白い本であった。 <br />フロイトが何かに脅迫されるような形で、自らの出自を解体していく。 <br /> <br />モーセはレムの民に殺されたとか、 <br />モーセは二人いたとか、 <br />ヤハウェはモーセの神ではないとか、 <br />割礼はユダヤの掟ではなくエジプトの風習であるなど <br />ユダヤ人をユダヤ人たらしめる物事すべてがユダヤ人であることを裏切っていく。 <br /> <br />何かの覚悟を得たフロイトの言葉の数々が、あくまで仮説ではあると断りつつも、確信に満ちている彼の心情を表している。 <br /> <br />ユダヤの掟はある民族的な妥協によって、そして忘れたい記憶の痕跡として、定められた。 <br />そしてそのつぎはぎを隠そうとする意志があらたな歪曲を生み出す。 <br />そして消し去ったと思われた忘却した出来事が、徐々にではあるが力をつけていく。ユダヤに掟を与えたはずのモーセを殺してしまったのである。 <br />ニーチェなら「神は死んだのだ。われわれが殺してしまったのだ。」と言うだろう。 <br /> <br />完成された精神に向かう弁証法に抗い、反弁証法的に展開されるこのモーセ論には <br />訳者の渡辺の言葉を借りれば、「フロイトのわが闘争」が示されている。 <br /> <br />ぜひとも読んでもらいたい。 <br />そして、今の我々の思考にも入り込んでいるモーセ殺害の記憶を想起してみるのもこの本を読む醍醐味であるだろう。

評価:ユーザ評価は4.0点です ユダヤ教の脱構築から、天皇制の脱構築へ 2005-06-05

52人中 14 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

 ここで行われているのはモーゼを軸としたユダヤ教の脱構築である。<p> もちろん、フロイトはユダヤ人である。なぜ、その彼がユダヤ教の脱構築などしようとしたのか。若きマルクスはある論文で、ユダヤ人のユダヤ教からの解放を述べている。つまり、ユダヤ人はまずユダヤ人であることから解放されねばならず、しかるのち後に、人類としての解放が行われなければならないという。同じことがフロイトにも当てはまる。つまり彼はユダヤ教を、モーゼへと向けられたヒステリーであると、とらえているのである。確かにここで行われているユダヤ教の脱構築は、怪しい文献による検討にしか見えないかもしれない。しかし手段は何であれ、宗教を廃棄するマルクスと、神経症を治療するフロイトと、その間の距離はそれほど遠くはないのである。<p> さて、日本人である。日本人もある意味でヒステリーである。天皇制というヒステリーである。なぜこれほどまでに、なにか問題が起こるとすぐに国家が何とかしてくれるだろうと思い込むのだろうか。なぜ日本の政治家は、こんなにも好き勝手な政策を平気で提出できるのだろうか。なぜ、この民主主義国家であるはずの国では、民衆の意見が反映される事が少ないのか。これらは特定の対象への無意識な全面的依存にかかわっている。ユダヤ人がユダヤ教に依存することで解放されないように、日本人も天皇のご慈悲に依存することで解放されていないのである。精神分析とは、こうした依存からの脱構築的な解放でもある。<p> そういう壮大な視点という点では、この著作はかなりマニアックな著作である。だから本当は、症例集とか芸術論とかの方が読まれるにふさわしい著作だと思う。どうせなら、そういう著作を手軽に手に入るようにしてもらいたい。

評価:ユーザ評価は5.0点です 父親殺しとトーテム、エディプスコンプレックスと去勢コンプレックスの起源 2005-09-03

35人中 6 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

 岸田秀さんが『靖国問題の精神分析』の中でも触れているが、フロイトが本当にやりたかったのは、最晩年のこの『モーセと一神教』のような社会集団の分析なのではないか、と。個人心理を集団心理に転用して分析するというよりも、個人の人格形成のメカニズムと集団の社会構造のメカニズムは同型なんだから、国家の問題を、個人の自我の問題と同じように語ってもかまわない、と。<p> つねに距離を置いてみられつづけられてきた本だが、ひとりの「エジプト人」であるモーセが(つまりユダヤ人ではない)ユダヤ民族をつくり、ユダヤ民族の"エス"がモーセの掟においてあるというテーゼは、すくなくとも読み物としても面白い。<p> イクナートンが「光への信仰」ともでもいうべき厳格な一神教をエジプトに導入しようとして失敗し、その信奉者が、ユダヤの地に民を率いてのがれ、やがて民によって殺されるが、そうやって生まれた「ユダヤ人」たちにとって、自分たちを率いてきたモーセを殺したことは父殺しの記憶して残る、というわけなのだから。