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1巻から2巻のテンションは、読み人を旅人にさせる熱気を放ちます
2003-12-24
42人中 38 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
私も、この文庫本を読んで熱気に当てられ、 香港→マカオ直行した者です。 ご承知のように、ここにかかれている時代から 驚くほどの変貌を遂げているので、 「全然違うじゃないか!」と思う人もいるでしょう。 でも、ちょっとまって!。 「深夜特急」はガイドブックでは無いのです。 ある青年が放浪のなかで感じた熱気を そのまま文章に刻みつけたモノなのです。 だからこそガイドブックとは違う魅力を放つのでしょうし、 いまだに読み継がれているのでしょう。 ちなみに、本人が後日書いているように、 文庫本では6冊(単行本では3冊)のうち、 一番魅力を放ち面白いのは1巻目の部分です (文庫では1-2巻)、シルクロードに入ってからは 内省的な要素が増え、ヨーロッパに入ってからは、 発刊時期も初期から離れたせいもあってか、 やや記録的部分が多くなっています。 ということで、最初の勢いで6冊読み切っても、 印象に残るのは香港と、しいていうなら途中出てくる イスタンブールなのかなと個人的に感じます。 ・・・それでも、「深夜特急」ほど、 読人を旅人にしてしまう本は少ないでしょう。 願わくば、この本は「地球の歩き方」的利用ではなく、 自分で旅を紡ぎ上げるため起爆剤として 使われることをお薦めします。
私もこれで会社を辞めました
2006-11-03
35人中 33 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
この本ははっきりいって「麻薬」である。 一度読んでみればわかるが、この本を読んだら、今の自分の立場を何もかも投げ捨ててすぐにでも旅に出たいと思うだろう。 いわゆる「海外旅行」ではなく「放浪の旅」。 普通の短期間の旅行にはない旅のおもしろさが存分に描かれている。 特にそれが作り話ではなく実際の話であるということが、圧倒的なリアリティーを持って読者に迫ってくる。 それが旅への衝動を強烈に駆り立てるのだ。 私もこの本で、会社を辞めてアジア放浪に出かけました。
リアルで、行きたくなる危うさ。
2007-01-16
19人中 18 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
これを読んですぐ、香港・マカオへ行ってしまった。 文中に書かれているマカオのホテルはここなのかとか ここがあの賭博場かなど、旅の小説は数あれど 紀行文ではなく実に人間くさい。 香港の宿の描写にしても、旅行ではなく放浪者の描写が細かく書かれている。 そういうことで、日常生活の中でのうやむやを放棄して 旅に出ることを誘っている。 そんな危うさがある。 旅好きにとっては、放浪は憧れであり日常では不可能である。 しかし、この小説でそんな気分を味わえる。
人生棒に振る一冊(じゃなくて6冊)
2000-12-04
21人中 15 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
「香港から陸路を定期路線バスを乗り継いでロンドンにたどり着けるか?」という馬鹿馬鹿しい賭けから始まったノンフィクション・ライター、沢木耕太郎26才の時の大旅行ルポルタージュ。 旅というものは寂しくて切なくて、それでいてやはり面白いものなのだということを改めて実感できる一冊。1人旅というのはつくづく自分の内面と向かい合うということなのだなあと思う。 誰のどんな時代の貧乏旅行にでもつきもののアクシデントやハプニングの連続。30も半ばを過ぎた今となってはやりたくても身体がついていかないところもあるけれど、それでも読み終わる頃にはやっぱりバッグに荷物を積めてあてのない旅に出たくなってくる。 もしも18才で読んでいたなら今僕はここにいないだろうという!確信すらある。風に吹かれて旅をしたくなるのは誰もが一度は通る、避けては通れない熱病のようなものだから、人生棒に振るつもりで旅に出てしまうのも良いのではないでしょうか(責任は取りませんよ(笑))。
心のユートピア
2006-12-02
19人中 13 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
私もかつてはこの本に描かれているような、旅というよりも放浪といったほうがよい「旅」をすることを夢見ていた。「深夜特急」ははじめこそ面白く読み始めたが,このようにただがむしゃらに様々な土地を通り過ぎるだけのような旅が、次第にあまり意味のないものに思えてきた。3分の2ほど読み終わったころ,こういう旅は自分のやりたい旅ではないということが分かった。 司馬遼太郎の「アメリカ素描」というエッセーの冒頭,確か氏の友人である在日韓国人が「もしアメリカという国がなかったら,辛いでしょう」というような意味の事を言っていた。その人はアメリカに行ったことも行く予定もないが,「アメリカ」という逃げ場所がこの地球上にあると感じることで、かろうじて閉塞した現実の人生を生きていけるという意味で言った言葉であったと思う。私は現実の「深夜特急」には共感できなかったが、いつでも「深夜特急」という逃げ道がある,というふてぶてしい考えを頭の片隅にもっていることは、あながち悪いことではあるまいと思っている。