クリックすると拡大します
カスタマーレビュー数:12
販売価格:1575円
中古価格:800円
定価:1575円
発売:講談社
発売日:
出版日:2002-01-10
種別:#
選書・叢書 >
21位
選書・叢書 >
46位
興味はあって知識がない人にも読める でもテンションが…
2009-09-01
3人中 3 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
日本語の基本的な構文の必須の要素として、主語を措定するのは誤りだ、というのが <br />タイトルの意図するところ。私も「日本語を習いたてのオーストラリア人」に、 <br /> <br />ワタシワ ツカレマシタ <br /> <br />と得意げに言われて、可笑しさを禁じえなかった体験があった(その時は拍手したけど)ので、 <br />ここから日本語の文法をとらえなおすことで、辻褄が合わないように感じていたことが、 <br />いろいろと腑に落ちるようになるような気がする。 <br /> <br />うーむしかし、文体に思い入れが強すぎて、「講談社メチエ」相応の学術性が <br />保たれているかどうかは疑問。不当に「日本語は非論理的だ」と決めつけられてきた <br />歴史に対する義憤の強さはよく伝わってくるのだが、助詞「は」の多機能ぶり、 <br />特に読点(コンマ)を跨いで働きを示す点を重視して「スーパー助詞」とまで <br />名づけてしまうあたり、付き合いきれないものを少々感じてしまう。 <br />生成文法の連中がジャーゴンを弄んでいるという批判も、今さらという感じもするし。 <br /> <br />筆者自身の日本語教育法も(断片的ではあるものの)具体的に示されていて、 <br />興味深く読めたし、三上章やら橋本進吉やらの大家の考えをぞろっとさらえる <br />お得感もあったし、良い本だと思うのですが、もうちょっと落ち着いて語ってほしかった <br />という本音はぬぐえない。好みの問題だとは思います。
私はあなたを愛しています
2002-01-29
30人中 22 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
日本語の文法なんて、日本語を何不自由なく使っている我々には関係ないとお思いの方、外国人の恋人が出来て「私はあなたを愛しています」なんて言われたらどう思います? こんな変な日本語を使われたら背筋がゾクゾグクしませんか? カナダで日本語を教える著者は、かわいい教え子の恋の成就を考え、そんな変な日本語を使わせたくない。長年の研究の結果、日本語には主語がないという結論を導きす。<p>英語や西欧語に主語があるのだから日本語にも有るはずだという考えは、明治以来100年以上の思い込み。そして、それは我々が無意識に陥っている英語中心主義の考え方が原因。そんな思い込みから脱却しよう、と著者は主張する。<p>著者の歯切れの良い理論で、英語中心主義というヘッドギアをはぎとられた読者は、何とも言えぬ爽快感と開放感を味わうことができるだろう。<p>著者が尊敬する元祖主語廃止論者 三上章著「象は鼻が長い」(くろしお出版)を併せて読むとより一層著者の主張を理解できる。
みんなで考えたい大切なテーマ
2002-04-26
49人中 33 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
語学コンプレックスを抱きがちな日本人に一度は考えてもらいたいテーマを扱っているのは素晴らしいです.ただ筆致が多少感情的なのが気になります.実は本書に書かれているようなことは,遅くとも1980年代からは日本語学の世界では常識となっていることばかりです.日本語学者,言語学者で「日本語は論理的でない」といった趣旨の発言をする人はほとんどいないのではないでしょうか?その点について誤解を招きかねない題名,副題がついているので☆3つとさせていただきました.
日本人としての新たな一歩のために
2004-01-19
42人中 27 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
わたしは、本書をたいへんによい本であるとみなすものであり、できれば多くの日本人に読んでもらいたいと思う。文章は読みやすく、明解である(フランス語になじんだ人らしく、少々攻撃的ではあるが)。<p> 本書には「日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す」というタイトルがつけられているが、わたしとしては、本書の主張の重心は「日本語に主語はいらない」のほうにあるのではなく、「百年の誤謬を正す」のほうにあると考えたい。<p> 日本語文法論としてみれば、ここに述べられている文法的考察の多くは特に目新しいというほどのものではない(「自動詞/他動詞をめぐる考察」は著者のいうように新たな試みのように思える)。また本文のなかで繰り広げられる生成文法に対する批判は、かなり皮相的である。<p> しかし、こと視点を「百年の誤謬を正す」のほうに移すと、本書で繰り広げられている主張はまったくそのとおりだとわたしは考える。明治の「近代化」が避けられない出来事であったとしても、そのために日本・日本人が失ってしまったものは、どれほどまでに大きかったことであろうか。さまざまな社会制度だけでなく、なんと文法でさえも、われわれは西欧に売りわたさざるを得なかったのである。<br> 著者もいうように「すでに戦後は終わった」、はずである。おおげさな言い方にはなるが、日本人として新たな一歩を踏み出すために、この本を読めばよいのではないだろうか。
日本語の常識に挑む
2002-04-16
24人中 13 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
これは、日本語をまとう数々の虚像を容赦なく切り裁く痛快な読み物だ。<p>著者は、カナダもフランス語が第一言語のモントリオールの大学で長年日本語教育に携わってきた方で、この力作をもって、学校文法における「英語(エゴ)セントリズム」にまっこうから挑む。日本で生活する人々にとって、日本語を語るという文脈では「カナダ」とははたしてどのように響くのか興味深いものだが、英語、フランス語、それに生きている日本語、外国語としての日本語、明治の学校文法、江戸の国学者、現代の言語学理論の対象としての日本語を変幻自在に操る著者の薀蓄は、間違いなく読む人をぐいぐい惹き付けてしまう。著者特有の、歯に衣着せぬ鋭くて心地よい語り口も、この一冊に大きな魅力を添えた。<p>著者が俎上に載せたのは、ずばり学校文法によって代表される日本語についてのわれわれの常識だ。本のタイトルこそ「主語」をとりあげたものだが、そこに触れられたのはこれに限らず、基礎となる構文、動詞の形態と成立、文法研究の歴史など、豊富で多彩だ。しかもここで取り上げられたのは、常に話題になる「国語」対「日本語」という対立ではなく、著者が矛先を向けたのは、あくまでも明治という時代の産物の一つとしての英語中心主義による現代日本語文法をまつわる誤謬だ。これらの間違いは、むしろ国学によって培われてきた認識からの逸脱だと捉える著者の論陣は、じつに新鮮で、刺激的なものだ。<p>日本語を日常言語として使用しているだけではなく、これに多大な興味をもち、真剣に思索する人々にはぜひお薦めしたい。一方は、ここまで論破した著者は、つぎの仕事として、はたして学校文法そのものに対抗して日本語を使う人々への啓蒙を続けるのか、それとも教育の場を生かして新しい学習者を育てることを通じて日本語文法への革命を起こすのか、とても楽しみだ。