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エスパーを鍵に考える
2009-01-06
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3人のエスパーを中心にさまざまな角度から説明不可能な事象について考察をすすめる本。 森達也さんはあくまで、自分の感情に忠実に、現象の考察をすすめている。そっけない超能力否定派には、むきになって目の前で起きている説明困難な現象をつきつけようとし、超能力によってもたらされたと考えられる可能性のある事象については、ありとあらゆる否定的な視点をもって対峙しようとする。 しかし、この本は超常現象について、その有無にだけ焦点をあてているわけではない。エスパーといわれる極少数の人達を通して、メディアの本質に迫り、ひいては私たち読者にメディアによって流される「事実」というものの見方についてのヒントを示してくれている。 続編をつよく望みたい。
その人を信じられるか
2007-12-16
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超能力を信じる・信じない、あるいはホンモノ・インチキといった議論は本書の主題ではない。超能力者のノンフィクションでもない。 冷静な観察者としての著者が、「超能力者」という職業を営む人々と接する中で、超能力が信じるに足るものか否か、ひいては超能力者は信じるに足る人間か否か、葛藤し続けるプロセスの記録です。主役は取材対象よりも著者自身であるのが、本書のみならず著者のノンフィクション本の特徴である。 著者の他のノンフィクションを読むと、ヒューマンな視点を持ちつつも、決して叙情に流されてはいない。科学的な思考ができる人間だと思う。 それゆえ超能力について著者の当初のスタンスは懐疑派であったろう。 その著者が、葛藤する。生身の人間として超能力者と接していると、彼らが嘘をつき通すような人間には思えない、と感じてくるからである。 逆に懐疑派の人々の強引な議論の進め方や、タレント根性に接するうちに、「超能力を信じるつもりはないけれど、人間としてみた場合、超能力者が嘘をついているとも言いがたいし、一方で懐疑派の連中は人間として信用するまでには至らない」 という地点にたどり着いてしまった。 その最期まで釈然としない心の葛藤のプロセスが、非常によく書けている。 最後は超能力がホンモノかニセモノかとは全く別次元の、「信じるとは何か」といった哲学的な領域に踏み込んでいます。 超能力とは何かはもちろんわからないままですが、著者とともに葛藤を追体験できる本です。
超能力を信じる、信じないという問いに意味はない
2007-02-24
8人中 7 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
『東京番外地』や『放送禁止歌』で森達也氏にはまって、 このところ、片っ端から読んでいる。 森氏はTVドキュメンタリーの映像作家。 本書のタイトルである「職業欄はエスパー」は 1998年にフジテレビで放送されたTV作品だが、 本書はこの制作過程をつづったルポタージュである。 一世を風靡した3人の超能力者、 スプーン曲げの清田氏、UFOの秋山氏、ダウジングの堤氏を取材対象にして、 超能力者という生き方そのものを追う。 超能力者たちは、華々しくTVやマスコミに登場し、 あたかも芸能人のように華やかに見えるが、 じつは、超能力者を名乗って生きる生き方は、 とても生きにくい生き方である。 超能力は、人の理解と認識を超えているから、 つねに胡散臭さがともなう。 超能力者を名乗って生きる生き方とは、 その胡散臭さ、世間の疑いのまなざしを 真正面から引き受けて生きる生き方である。 自分自身の存在を、疑われ、否定される生き方とはどんなものなのか。 彼らには見えるものも、私たちには見えない。 彼らには聞こえるものも、私たちには聞こえない。 認識している世界が違うなら、わかりあえるはずはない。 なのに、わかってもらいたくて、世間に自分を認めてもらいたくて、 彼らはみずから実験台になり、能力を披露する。 そして、失敗すればニセモノと罵倒され、 成功してもトリックではないかと疑いのまなざしを向けられる。 どこまでいっても彼らはマイノリティ、異端者なのだ。 ふとウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を思い出した。 彼我の認識は原理的に一致させようがない。 であれば、超能力を信じる信じないという問いに、はじめから意味はない。 それがどうであれ、私たちも超能力者たちも、 人の人生を生きていかなければならないのだ。 そんなことをつらつらと思った。
この著者こそが科学的
2007-02-08
8人中 7 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
本書では、いわゆる超能力者3人に密着し、彼らの異能者としての半生を描いています。同時に本書は、超能力という不思議な存在を、安易に否定も肯定もせず、「いったいこれをどうとらえればいいんだ?」という絶えざる逡巡の中にいる著者自身の心のドキュメントともなっており、二重に興味深いものです。著者は実際にじかにスプーン曲げの瞬間を目撃しているらしいが、いわゆる既存の科学的常識から考えてそんなはずはない、との思いは消えない。だが、よくいる超能力否定派のように、超能力(者)を科学的見地から「ありえない」と端から決め付ける横暴さには決して与しない。こうしたフェアで誠実な態度にとても好感が持てます。現象に対する謙虚な姿勢を「科学的態度」とするなら、大槻教授ではなく、この著者こそ科学的であると思います。
オススメです
2006-01-10
18人中 4 人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
超能力って、めんどくさがりやが常識に反発した自己表現だと思う 「常識」が「論理」で無理やり抑圧してきて、そうすると人は自己表現に向かうんだけど、やらない人間もいる。理由はめんどくさいから。そういう人が「スプーンが曲がったっていいじゃないか」と常識に反発して思ってそのことに対する異常な集中力が超常現象を起こすのだろう。なぜ超常現象を解明できないかというと、めんどくさがり屋はものすごく高い集中力がある、ということを世間が認めないからだろう。ベートーベンの曲を聴くと「すごい集中力で作ってるな」と思う。そのベートーベンの部屋がいつも散らかっていて、生涯独身だったいうのにその辺のカギがあると思うのだが、とにかく、めんどくさがり屋にしか出来ない能力がある、ということを世間、特にマスメディアという忙しい仕事に従事する人は認めたくないからそれが見えなくなり、超常現象は解明できないのでしょう。めんどくさがり屋がやる気が無いのはエネルギーの問題ということになっているが、そうではなく価値観の広さの問題だと思う。「これはやろう」と判断する基準が普通の人と比べてすごく狭いのだろう「そんなことして見返りが無かったらどうする」とか。だから、そのめんどくさがり屋が「これは絶対やる価値がある、しかも自分はそれをやれば必ずできる」と判断したら、今まで何もしなかった分、集中力は半端なものではないということは想像できるのである。一夜漬けの勉強とか。スプーン曲げが出てきて、その後スプーン曲げをする人間が続々と現れたのはもともとスプーンを曲げられる人間がたくさんいたからではなく、彼らが「あ、それできるんだ」と検討がついたからであろう。そのものぐさ者の集中力が、常識に対する反発に向かう時超能力は起きるのだろう。常識に対する反発だから、超能力者は曲がったスプーンを元に戻すということはしないのだ。超能力者がタネを明かさない、というか説明を放棄しているのは、自分を抑圧した「常識」の「論理」に組み込まれるのを嫌がるからであろう この「職業欄はエスパー」という本を読んで、そう思いました